FC2ブログ
もろもろももとせ
とつぜんはじめた日記のブログ
プロフィール

江戸絞(えどしぼり)

Author:江戸絞(えどしぼり)
それぞれいろいろ
もろもろももとせ(百年)

精一杯、生きて百年
それぞれがいろいろ
今、出来ることを!

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

第二代将軍・徳川秀忠は三男
最近、磯田道史さんの本に興味があって
寝る前に読んでいます

「江戸の家計簿」「日本史の内幕」などを
楽しんでいます

IMG_7735.jpg

関ヶ原の戦いのあと、徳川家康が日本
統一を成し遂げましたが・・・

正室、側室と女性はそばに沢山お抱え
さぞやお忙しいこと

まあ、あの時代はお世継ぎを作らなけ
ればならないからねえ

権力はあったけど、子供は人質に出さ
れたり、結婚させられたりと自由では
なかったでしょうね

家康には男の子が十二人、女の子五人
合わせて十七人の子供がいた

そのうち男性は・・・
松平信康(長男・信長の命で切腹)
結城秀康(次男・秀吉の下で人質)
徳川秀忠(三男・二代目将軍)

松平忠吉 (四男、関ヶ原の戦いで活躍)
松平忠輝(五男・妻は伊達政宗の娘)
徳川義直(九男・御三家の尾張藩祖)
徳川頼宣(十男・御三家の紀州藩祖)
徳川頼房(十一男・御三家の水戸藩祖)

秀忠以外は、あまり名前も聞いたこと
ないのでは?

その家康は三人の息子のうち誰を世継
ぎにすべきか、家臣を集めて尋ねた

本多正信は結城秀康(長男)を推し井伊
直政と本多忠勝は、松平秀忠を推す

秀忠の同母弟の忠吉は、徳川四天王の
一人・井伊直政の娘婿

秀忠と関ヶ原の戦いで活躍した四男の
松平忠吉の母は、側室の西郷局

忠吉は徳川四天王の一人・井伊直政の
娘婿にあたる

祖父・松平広忠と父・家康の一字から
名を松平忠康と改めるが・・・

慶長10年(1605年)10月には、腫物を
患い、12月には危篤状態に陥る

投薬により蘇生するが、病は治らずに
慶長12年(1607年)に江戸へ

家康・秀忠と面会した数日後の3月5日
死去、享年28

四男の忠吉は関ヶ原の戦いで活躍した
生きていたら、大出世したでしょうに・・

歴史は、どう変わっていたか、なんて
分かりませんね

大久保忠隣のみ「乱世においては武勇も
必要だが天下を治めるには、控えめな
人柄の秀忠様しかいない」

一人だけ、秀忠(三男)を推した、後日
同じ家臣を集め後継者は「秀忠とする」
と、家康は告げた

天保~嘉永期「織田がつき 羽柴がこねし
天下餅 座して喰らふは 徳の川」

誰が読んだか、分からないそうですが
なるほどその通り、うまいですね
この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://yoshiko152.blog44.fc2.com/tb.php/3276-e7171f8c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)