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細川ガラシャ夫人
明智光秀と正室・熙子(ひろこ)の三女
として、永禄6年(1563)に誕生した
「玉」(たま)又は「玉子」「細川ガラシャ」

父が仕えていた織田信長の勧めで玉は
16歳で細川忠興と結婚

忠興は、戦国時代から江戸時代初期に
かけての武将、大名

丹後国宮津城主を経て、豊前小倉藩の
初代藩主、肥後細川家初代

16歳で妻になった玉は戦国一二を争う
美人と名高かった

忠興は玉への異常なほどの厳しい監視
外部との接触を制限

玉に見とれた庭師を、手討ちにしたり
家臣を手討ちにした刀を彼女の着物で
拭ったりするなどの逸話も残っている

そんな生活の中で、玉はキリスト教に
ひかれていく

夫が九州征伐に行っている間に密かに
洗礼を受け、「ガラシャ」の名を授かる
ラテン語で「恵み」とか

帰ってきた忠興は戸惑い、怒りましたが
彼女の意思は固く、信仰を捨てることは
ありませんでした

側室を5人持つと言い出した忠興に失望
したガラシャは、離婚を考えるが・・・

キリスト教では離婚が認めていないので
結婚生活は続いた

父・明智光秀が織田信長を討ち「逆臣の
娘」となってしまった玉

夫の忠興は、離縁も考えたようですが
やはりできず、やむなく彼女を幽閉した

人里離れた京丹後の地に、わずかな供を
連れ移り住んだ玉

約2年ほど幽閉生活を送ったのち、豊臣
秀吉のお取り成しで、大坂の細川屋敷に
戻ることができたそうです

慶長5年(1600)忠興は、徳川家康に従い
会津征伐に向かう

家臣に「自分の不在時に妻の名誉が汚され
るようなことがあれば、妻を殺してみな
切腹せよ」と、言いつける

石田三成が、妻子を人質に取ろうと細川
屋敷を取り囲む

キリスト教は自害は罪であるとしている
ので、家臣に槍で突かせた、という話も
伝わっている

ガラシャは、屋敷と共に炎の中に消えた
壮絶な最後だった

運命に翻弄された人生だった、夫の忠興
ガラシャの教会葬にも参列し、妻の死を
深く悼んだ

どんな思いが、あったのでしょうか?
三浦綾子さんが書いた「細川ガラシャ夫人」
(新潮文庫)今、読んでいる

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