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「親死、子死、孫死」
一休さんはある人から、何か目出度い
言葉を書に記してほしいと、頼まれ
心よく引き受けました

そして、下の言葉を記したそうです
「親死  子死  孫死」

無常の世に、順番で生きる難しさを
知らしめるため、順番通りに過ごす
有り難さを書いた

「死」なんて言葉を入れられ、縁起でも
ないと、依頼者は怒った

逆に「孫死 子死 親死」だったら?」と
一休?依頼者はその意を納得したとか

順番が狂えば悲しみは大きい、真実を
さらりと知らしめる

すっかり忘れている当たり前のことを
気づかしてくれたのです

一休さんは出生地が京都、後小松天皇
の落胤(らくいん)とする説が有力

落胤とは、父親に認知されない庶子と
言うが、私生児のことです

「一休和尚年譜」によると母は藤原氏で
南朝の高官の血筋、後小松天皇の寵愛を
受けたそうです

しかし帝の命を狙っていると讒言(かん
げん)され、宮中を追われて民間に入り
一休を生んだ

讒言とは相手を悪く言い、陥れる目的で
立場が上の人に告げ口すること

一休さんは6歳で、京都の安国寺の像外
集鑑(ぞうがいしゅうかん)に入門

早くから、詩才に優れていて13歳の時
作った漢詩「長門春草」を書く

応永15年(1408年)に15歳で、漢詩
「春衣宿花」は洛中(京都)の評判となる

17歳で、謙翁宗為(けんおうそうい)の
弟子になったが謙翁は死去、この頃に
一休も、自殺未遂を起こしたそうだ

京都府京田辺市の酬恩庵が、一休寺と
言われています

ixtukyuuji-01.jpg

京都には義妹がいるので、今度一緒に
行きたいと思う

若い頃から何回も京都に行ってますが
知らなかったねえ

02.jpg

お庭も素敵ですし、季節ごとに色々な
行事があるようです、9月には薪能も
やったり、京都に行く楽しみができた

一休さんは、正月に杖の頭にドクロを
っつけ「ご用心、ご用心」と叫びながら
練り歩いたり

風変わりな格好で、街を歩き回ったり
形式に囚われない人間臭さが、人々の
共感を呼んだようです

江戸時代に彼をモデルとした「一休咄」
頓知咄(とんちばなし)

江戸時代に書かれたものですが、作者
不詳、現代まで楽しまれていますね
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