もろもろももとせ
とつぜんはじめた日記のブログ
プロフィール

江戸絞(えどしぼり)

Author:江戸絞(えどしぼり)
それぞれいろいろ
もろもろももとせ(百年)

精一杯、生きて百年
それぞれがいろいろ
今、出来ることを!

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

永井荷風の生き方
パトロン的存在だった西園寺公望に
可愛がられた荷風

雨声会は1907年(明治40年)3日間
開かれたものが第1回

当時の総理大臣の西園寺公望が神田
駿河台の私邸に、文学者たちを招き
一夕の歓談をなした宴会

森鴎外、泉鏡花、島崎藤村、田山
花袋などの先輩の文学者と参加
恵まれていましたね

彼は1912年32歳で、材木商の次女
ヨネとお見合い結婚、翌年には離婚

人間として生活するためには一人で
生きるほうがましだ、という考えで
置屋に入り浸りだったという

1914年には新橋の芸妓・八重次を
入籍、しかし、末弟や親戚との折り
合いを悪くした

華やかな教授職の一方で、私生活は
必ずしも安泰でなく周囲との亀裂を
繰り返した

八重次との生活では、翌年に荷風の
浮気に怒って一年足らずで飛び出す

荷風とは離婚後間もなくして半年ほど
縒りを戻し、その後も会ったりした
ものの、1937年以後は全く切れた

「荷風と別れて馬鹿した」などと生涯
のろけを口にしていたそうだ

元妻は藤蔭流(ふじかげりゅう)を創始
して、新舞踊を開拓、活躍しました

それ以降、荷風は妻帯はしなかった
荷風は女性は人生を豊かにしてくれる
存在だから

一人の女性に絞ることなく、あちら
こちらの人に手を出す

かなりわがまま、好き放題、自分の
やりたいことをやったら、周りは
我慢ばかりしていられないですもの

子供は、一切つくろうともしません
子供時代に、いい思い出がなかった?

荷風は愛人一覧表を作っていたらしく
16人の名前、どんな性格か、事細かく
メモをしていたそうです

あの時代は、女遊びは、当たり前なん
ですかね

永井荷風は、こう言ってますよ
日本人は30の声を聞くと青春の時期が
過ぎてしまったように云うけれど

熱情さえあれば、人間は一生涯青春で
居られる「歓楽」より 

そう語る荷風は80歳で死ぬまで好きな
ストリップを愛し、好きなカツ丼を
食べて、青春を謳歌した

荷風は小説に限らず、俳句や日記など
様々なかたちで自身の文章を残した

荷風は日記を細かくつけていたそうで
女性のファッション、髪形、たち振る
舞い、文字や言葉の使い方まで

彼がいろいろなことに、興味があった
からこそ制作意欲が沸き上がっていた
のでしょう

1959年3月1日、長年の間、通い続けた
浅草で昼食中、病魔で「歩行困難」となり
周りに助けられたが、医者を断り続けた

4月30日朝、自宅で遺体で見つかった
通いの手伝いさんが、血を吐いて倒れて
いるのを見つけたそうです

最後の食事は、好きなかつ丼だったとか
胃の中にご飯が混ざっていたそうです

胃潰瘍に伴う、吐血による心臓麻痺と
診断された

側に置かれたボストンバッグには土地の
権利書に、預金通帳、文化勲章などの
全財産があった

通帳の中身、額面は大金だったそうです
そして、現金31万円余も入っていた
明治の頃だから大金ですね

一人で好きなように生き、一人で死んで
行った荷風は、本人の生き様として満足
だった?のでしょうか?
この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://yoshiko152.blog44.fc2.com/tb.php/2822-47564816
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)