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明治維新前後の出来事
1853年7月8日(太陽暦、嘉永6年)に4隻の
巨大な船が三浦半島に近づく

浦賀沖に投錨したのは旗艦「サスケハナ号」
(全長78m2450トン)

それと「ミシシッピー号」の2隻が、蒸気船
他の2隻は帆船、その頃の日本の船は・・
大きいものでも、100トン程度でした

日本遠征は出発から半年後に、翌53年5月
26日、琉球(沖縄)の那覇にたどり着いた

黒船艦隊のトップが、マシュー・ペリー
(1794~1858年)

日本を開国させる交渉を任されたペリーは
アメリカ人で、一番有名でしょう

「黒船」「開国」「日米和親条約」などで日本を
鎖国から開国させた人物ですから

ペリーは、アメリカの独立宣言(1776年)
から18年後に生まれ、58歳で、東インド
艦隊司令長官に就任した

その頃、アメリカ北部では産業革命が進み
南部では綿花の栽培が拡大

メキシコ戦争に勝利して、カリフォルニア
獲得、あの有名なバハカリフォルニア

そこに金鉱が見つかり、多数の人々が殺到
あの有名な「ゴールドラッシュ」

1840年代は、太平洋を漁場にした捕鯨でも
最盛期です

日本近海には、アメリカの捕鯨船がひしめき
合って、燃料にするためにクジラをとって
いたそうです

41年に土佐(高知)の近海で暴風を受け漂流し
鳥島に漂着した、漁民の中浜万次郎(ジョン
万次郎)は当時14歳

近くを通る船を待ち続け、5ヶ月後のある日
アメリカの船に救助された

船は捕鯨船で、万次郎達を救助した後も鯨を
追っていた

助けられた後、船員として働いた、万次郎が
聡明で頭が良いことに、船長は感心した

1843年船がアメリカに戻る時、アメリカで
勉強しないか、と彼を誘った

アメリカの事をもっと知りたい、と思った
彼、万次郎は船長と共にアメリカへ

万次郎は小学校教育を受け捕鯨船で航海士を
勤めた

ゴールドラッシュのバハカリフォルニアでも
働いていた

お金がないと船にも乗れない、稼いだお金で
アメリカ船に乗って、1851年に琉球に上陸・
帰国したのです

当時、日本はまだ鎖国中で、正当な理由なく
外国に出た者は死刑が普通です

万次郎は沖縄と長崎で調べられたが幸い当時
沖縄を支配していた薩摩藩の藩主

日本は開国して国力を強めなくてはいけない
と、言う考えでした

土佐藩主も進歩的な考えを持っていた、死刑
にはならずに翌年、故郷の四国に帰ることが
できたのです

1853年ペリ-提督が黒船で日本に来て幕府に
開国を求めた時に、アメリカの事情に詳しい
人物はいなかった

徳川幕府は、アメリカで過ごした万次郎を
幕臣にして、情報を得た

開国後の日本で、万次郎は英語力を生かし
文書の翻訳、遣米使節の一員の通訳にもなり

1860年には徳川幕府が咸臨丸で使節を派遣
万次郎もアメリカへ

通訳として活躍、得意の航海術で、咸臨丸の
操縦も手伝った

当時、アメリカで流行していた、航海術の
本を日本語に翻訳したり

英会話の本を出版したり、日米関係に重要な
役割を果たしたジョン・万次郎

日米関係のパイオニアの一人で、明治維新に
大活躍ができました

出会いに運命を感じます?遭難しても助かり
大活躍、さてさて運命を信じてみようかな?
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