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西行法師、73歳で入寂
空海からおよそ250年後、西行法師
(さいぎょうほうし)は生まれた

西行は、平安時代末期から鎌倉時代
初期にかけての武士・僧侶・歌人

魚名流藤原氏,鎮守府将軍藤原秀郷
(俵藤太・たわらのとうた)の9代目の
子孫

曾祖父の代から佐藤氏と称し、父は
左衛門尉康清,母は監物源清経の娘
俗名は佐藤義清(さとうのりきよ)

憲清は武家の生まれ、武芸はもちろん
詩歌管絃の道にも優れた才能を示した

西行物語によると和歌の道にかけては
業平や貫之にひけをとりませんでした

帝も憲清を寵愛し、宮中での遊びの
おりに憲清を側からはなしません

しかし心の底ではこの世の無常を観じ
出家を望んでいた

佐藤家は代々、衛府(えふ)に仕える
武門の家、豊かでした

衛府とは、奈良,平安時代に宮門の
警備を司った役所

西行は出家に際し、下の句を詠んだ
「惜しむとて 惜しまれぬべき此の世かな
身を捨ててこそ 身をも助けめ

23歳で出家、出家直後は鞍馬山など
京都北麓に隠棲し、天養元年(1144年)
頃、奥羽地方へ旅行

心のおもむくまま、諸所に草庵を営み
しばしば諸国を巡る旅に出て、多くの
和歌を残した

久安4年(1149年)前後に高野山に入る
(和歌山県高野町)

後に西行と称し、以下の歌を生前に
詠み、その歌のとおり、陰暦2月16日
釈尊涅槃の日に入寂した

春爛漫の時、陰暦で文治6年2月16日
ですが、1190年3月31日です

ねがはくは 花のしたにて 春死なむ
そのきさらぎの 望月の頃 
(続古今和歌集)

素敵な歌、花とは桜のこと、73歳で
入寂するまで、平安末期の動乱の
世を生きた

出家の際に衣の裾に取りついて泣く
子(4歳)を縁側から蹴落とし、家を
捨てたという逸話が残っていますが

妻子を捨てたわけではなくいつも心に
かけ、遠くから見守っていたそうです

のちに妻と娘も出家、最後には近くに
住んだという

頼朝公が鶴ヶ岡八幡宮に参拝していた
時に、怪しい老僧が徘徊していた

これを梶原景季(頼朝に仕えた武将)が
問いただしたところ、西行法師だった

頼朝公はこれを御所に招き、歌の道と
兵法について、教えを受けようとした

西行は家伝の兵法書についは出家した
ときに全て焼き払ってしまいました

心に残っていたことも全て忘れ去って
しまいました、と答えられたそうだ

歌の道については、奥義などという
ものはまったくありません

ただただ花や月を見ては心に感ずる
ままに三十一にまとめて書き連ねる
だけのことですよ

人にお教えするほどのものは、何も
ありません、と答えたそうです

感じるまま、西行の教え通りに歌が
読めればいいですが、難しいですね

作ってはみましたが、歌人の才能が
ないものでねえ

西行法師どの!素晴らしい歌を沢山
読み、73歳までよく生きられました
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