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明治維新の倒幕論者、吉田松陰
山口県宇部の友達の実家に20年ほど前に
遊びに行ったことを思い出した

その時にお父様が車で萩観光をして下さり
松本村塾へも行ったのです

萩と言ったら松本村塾・吉田松陰、その後
糖尿病が悪化して足を切断、お亡くなりに
なった、あんなにお元気だったのに、と

フッと、親切にして頂いたことを思い出し
ました

その後、ララの兄弟の1匹が、彼女の元で
可愛がってもらいました

ララは、18歳と7ヶ月で今年の2月に亡く
なったプードルです

ララを思いながらララと一緒に生まれた
兄弟も思いながら、萩を思い出していた

松蔭は子供の頃、父や兄の梅太郎と共に
畑仕事をしながら、四書五経の素読をして
いたと言う

四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」
五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」

父の音読の後、兄弟が復唱、夜も仕事し
ながら勉学に励んだそうだ

叔父で山鹿流兵学師範である吉田大助の
養子となり兵学も修めた

しかし翌年、天保6年(1835年)大助が死亡
実家に戻り生活した、5〜6歳でしょうか?

同じく叔父の玉木文之進が開いた萩城下の
松下村塾で指導を受けた

9歳のときに明倫館の兵学師範に就任、優秀
だったのですね

11歳の時に藩主・毛利慶親への御前講義の
出来栄えが見事だったので才能が認められた

13歳の時には、長州軍を率い西洋艦隊撃滅
演習を13歳で実施、昔の人はすごいです

15歳で長沼流兵学に、江戸の山鹿流兵学を
両方とも収めるとは・・

吉田松陰は短い時期ですが松本村塾で指導も
していた

塾生の中から、幕末より明治期の日本を主導
した人材を多く輩出

しかし、多くが幕末の動乱期や維新後に若く
して亡くなった

創設者松蔭の叔父・玉木文之進は責任を取る
形で切腹死

しかし生き残った多くの卒業生は師や先輩の
遺志を継いで明治の新政府首脳となった

そして、近代日本の基礎を築いたと言います
もっと明治維新に活躍したものとばかり思っ
いた吉田松陰

29歳で斬首刑とは、それは知りませんでした
勉強不足でした

2度目にペルーが来航の時、彼ら吉田松蔭や
金子重之輔が乗船を許されていたら、米国を
見て帰り、明治に活躍したかもしれません

歴史が変わったかも?しれませんね、松蔭と
一緒に行動した金子重之輔も、獄死を免れた
かもしれません

彼は商人の出でしたから、士分以外、身分の
低い者が入る獄舎の岩倉獄(下牢)だったため
劣悪な環境で、体調を崩して獄死したと言う

萩に到着してからおよそ3か月、享年25歳
あの時代に生きた人々のことを思うと・・・

時代が違うので仕方ないですが・・・今は
なんて腐っている政治の世界、と思います

税金で国民のために働く人・公人だという
ことを忘れている

安倍氏の奥様、昭恵夫人には秘書が5人とか
年収総額2800万円と書いてありました
完全に公人ですね

国会に呼んで問いただすべきですね、真摯に
日本を考えている人がいるのでしょうか?
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