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邪馬台ことは九州?奈良?
西暦180年頃〜248年頃の、卑弥呼の
時代は、何もわかっていないそうです

それまで、邪馬台国は男性の王が治め
騒乱が起こりました

70〜80年も戦いは続き、双方とも疲れて
それぞれ共同で、女性を女王を立てた

この女性が卑弥呼(ひみこ)です
卑弥呼を知る手がかりは、中国の魏志
倭人伝(ぎしわじんでん)

この書物を見る必要がある、日本には
記述がないので、他の名前ではという
説もあります

中国は周辺国の王の名前にさげすんだ
漢字を使うらしいのです

そのために卑弥呼は中国独自の名前
では?とも言われている

垂仁天皇の皇女、倭姫命(やまとひめの
みこと)が卑弥呼ではないかとする説や
幾つもあるようです

1800年前も今も同じです、男が治めて
いると、争いばかりになるのですね

どこの国も女性を代表に、立てないと
争いが収まらない、小池知事、頑張れ!

卑弥呼は鬼道(きどう)と呼ばれる呪い
で、天災や戦争を占いながら政治を
行っていたそうです

弟が補佐をしていたようですね
当時の卑弥呼に関する文献(ぶんけん)
日本では、見つかっていません

魏志倭人伝では、女王が国を治めて
いたことから「女王国」と記されている

中国大陸にその当時、魏(ぎ)・呉(ご)
蜀(しょく)という3つの国がありました

それぞれに皇帝がいたのでこの時代を
三国時代と呼びます

3つの国の中で勢力が大きかった「魏」
卑弥呼は魏に使いを送る

卑弥呼から使いが来たこと、お返しに
魏の皇帝から親魏倭王(しんぎわおう)
の称号、金印、銅鏡100枚を授けた

そのことが魏志倭人伝に記載がある
らしい

親魏倭王(しんぎわおう)とは、女王・
卑弥呼に対し西暦238年(239年説)に
与えられた封号の事

三国時代の「魏」の第2代皇帝・曹叡
(そうえい)、彼から授かった

弥生時代に、日本にあったとされて
いる邪馬台国はどこにあったの?

決定的な証拠がないのです、はっきり
分かっていません

畿内とする説と九州とする説の二通り
あります

九州説では、日本は5世紀以降に全国
統一され、邪馬台国があったとされて
いる3世紀

日本はまだ地域分権国家でした
九州地方で、祭器だった銅矛や銅剣、

銅斧は神話にも登場、剣は天皇家の
三種の神器ですしね

そのために邪馬台国は九州にあった
と考えられています

3世紀には、九州から畿内までの広い
範囲を統治した大和朝廷が存在した
とは考えにくい

畿内説と言われるのは、内乱が激しく
なっている中国からの影響を避ける
ため

都を大陸から離れた纏向(まきむく)
という、奈良盆地にしたとする説

古くから大和は開けた土地で人口が
20万人以上いたとされてます

奈良県なら考古学的な古墳の発見も
相次いでいるし、畿内の地域を巨大な
勢力が支配していたと考えられる

天皇家が九州からきて、大和朝廷を
樹立したと考えるのが妥当、と言う

奈良も日本の歴史を思い旅をするの
は、面白そうです

だいぶ前に友達と2人旅をしました
寺を回りおみくじを引くと、「凶」が
3回も続いて出て、気分が悪かった

東京に帰ると弟が具合悪く入院した
という連絡が入ったのです

奈良はいい所で、また行きたいとは
思いますがそのことが気になります
その後、弟は亡くなりましたから
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