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日本の歴史、昔の日本人の暮らしに興味があり!
倭国(わこく)とは・・・
中国の王朝やその周辺諸国が当時、日本
列島にあった政治勢力を指して呼んでいた

当時、倭国の中にもいくつかの国が存在し
邪馬台国(やまたいこく)は「倭国」にあった
国の一つ

邪馬台国は力の強い国で30ほどの国々を
支配下においていたという

「倭国」は紀元前2世紀頃から中国の「漢書」
などに現れていて、7世紀後半に国の名前を
「日本」に改めたそうです

「倭」は「和」になり、そして「日本」になった
「和」は和食とか和式和室とかの和ですね

邪馬台国は、男性の王が治めていたが
騒乱が70〜80年も続いて、戦いに疲れて

それぞれの勢力は共同である女性を王と
した、この女王が有名な卑弥呼(ひみこ)
西暦180年頃から248年頃です

残念ながら、日本からは卑弥呼に関する
文献が見つかっていません、何故だろう?

中国の文献にしか、卑弥呼が出てこない
なんて、当時まだ日本に文字がなかった?

漢字が中国から伝わり、仮名ができたのは
そのあとですから、そうかもしれません

古代中国の魏志倭人伝(ぎしわじんでん)と
いう文献に「倭国」のことは出てきます

中国大陸には、当時、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀
(しょく)という3つの国があった

三国時代、三国志の話が有名ですね
3つの国の中で最も勢力が大きかった
「魏」に「卑弥呼」は使いを送った

「卑弥呼」から使いが来たこと、お返しに
「魏」の皇帝から親魏倭王(しんぎわおう)
の称号や、金印、銅鏡100枚を贈られた

卑弥呼の使者が持ち帰った100枚の鏡は
全国の豪族に配られた

日本各地から出土する銅鏡の数は400枚
何度も使者を出していたのでしょうか?

中国は周辺国の王の名前に、さげすんだ
漢字を使うことが多かったので卑弥呼は
日本では別の名前、という説もあります

では邪馬台国はどこにあったのでしょう
日本の史料に、邪馬台国は存在しない

中国の「魏書」の東夷伝倭人(とういでん
わじん)に記載があるのみ

たった2000字の解釈を巡って、幾多の
論争がおきている、日本史の大きな謎

2000年以上前ですから、分からなくて
当たり前ですね

銅鏡の出土場所、有力なのは佐賀県
吉野ヶ里(よしのがり)遺跡と奈良にある
纒向(まきむく)遺跡

北は東北地方から南は沖縄まで各地で
邪馬台国の存在を主張しています

纒向遺跡は3世紀頃の遺跡で、一帯は
前方後円墳発祥の地と推定されている

600px-NintokuTomb.jpg

邪馬台国、卑弥呼の墓との説もある
箸墓(はしはか)古墳など、6つの古墳が
分布する

1800年以上前のこと、資料もなければ
分かりませんが、今後、発掘の成果に
期待しましょう

昔の人は交通手段もない時代に大きな
ものを創ります、いつも思う、凄いです

昔の人の暮らしを想像したり、空想する
のは、とても楽しいです
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