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②天誅組リーダー・中山忠光(ただみつ)
「昨日の続き」を書きましょう
忠光の侍女で忠光が最後の住みかを出る
まで、一緒にいた恩地トミさん

後に「忠光暗殺」の証言した彼女は忠光の
子を身ごもっていた

彼女は忠光が暗殺された後、女の子を生み
南加(なか・仲子)と名づけた

維新の後、成人した南加は侯爵の嵯峨公勝
(きんとう)と結婚

仲子さんの子が愛新覚羅溥傑(あいしんかくら
ふけつ)と結婚する嵯峨 浩(ひろ)さん

愛新覚羅溥傑は清朝最後の皇帝、のちに
満洲国皇帝に即位した愛新覚溥儀の実弟

中山忠愛(ただなる)は、忠光の同母兄で
明治天皇の生母・中山慶子は同母姉です

忠光の正室は平戸藩主・松浦 熈(ひろむ)
の娘・富子ですが定かではないそうです

はっきりしているのは、忠光の最後まで
一緒にいた恩地トミさん、そしてその子が
嵯峨家に嫁いだ浩さん

そのお相手は、清朝最後の皇帝で満洲国
皇帝に即位した愛新覚羅溥儀の実弟

長女・慧生(えいせい)さんと次女・嫮生
(こせい)さんが生まれたわけです

戦後、夫婦も親子も離れ離れ壮絶な人生
溥傑の希望によって浩・慧生の遺骨と共に
日中双方により分骨された

日本側の遺骨は浩の曾祖父の中山忠光が
祀られている下関市の中山神社

境内にある摂社愛新覚羅社に浩・慧生の
遺骨とともに納められている

中国側の遺骨は三人共に中国妙峰山上空
より散骨されたそうです

長女・慧生さんは私が中学生の時に学習院
大学の同級生と、伊豆半島の天城山で
ピストル心中したのです

当時、大騒ぎでしたので、覚えています
次女・嫮生さんは、福永家に嫁いで、子供
5人に恵まれた

明治維新になる迄には、たくさんの犠牲者
そして、今があるのです

忠光の血筋を絶やさず子、孫、ひ孫、玄孫
(やしゃご)と、5代生き続けているのは救い
              
中山忠光ー仲子ー浩ー慧生 
               ↘︎嫮生ー子供5人 
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