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江戸町奉行・遠山金之助景元
徳川家斉の側室が40人という話には
驚きました、その時代の庶民はどんな
生活をしていたのかな?と

「天保の改革」のことが気になりました
享保の改革、寛政の改革と並んで江戸
時代の三大改革の一つです

天保年間(1830年-1843年)に行われた
のが、天保の改革

享保(きょうほう)の改革は、江戸時代
中期に8代将軍・徳川吉宗が主導した
改革、1716年から1745年行われた

御三家紀州徳川家から将軍に就任した
吉宗は格式に捉われない改革を行った

江戸大火を受け、江戸町火消しいろは
四十八組(翌年、深川に十六組)を設置

様々な改革により、財政の安定と幕府の
威厳回復に成果をあげることになった

寛政(かんせい)の改革は松平定信が老中
在任期間中1787年〜1793年に行われた

松平定信は8代将軍徳川吉宗の孫にあたり
飢饉対策に成功した経験を買われて幕府
老中となる

しかし、将軍家斉とその実父・徳川治済の
信頼の低下、幕閣内での対立、庶民の
反発により失脚することになった

1837年(天保8年)4月に家斉の次男・家慶
(いえよし)が第12代将軍に就任

天保の改革もいろいろ改革はしたが結局
水野忠邦は、流通経済の混乱を招いて
不況が蔓延することとなる

水野は理想を高くもち、突っ走った、周りの
事情を考えずに結果を急ぎすぎた

無理強いの政策で、当然周囲から反発を
招き、1843年に失脚してしまった

庶民の怨みを買い、暴徒化した江戸市民
水野邸は襲撃され失敗に終わる

その時の水野忠邦の腹心・江戸町奉行
遠山金四郎景元は庶民を苦しめる政策に
反対して人気を得た

時代劇のモデル「遠山の金さん」として
語り継がれている

「遠山の金さん」は、子どもの頃、映画で
見ました、お奉行さまは誰だったっけ

そうそう片岡千恵蔵だったか?それとも
市川右太衛門だったかな?それとも?

忘れてしまいましたが、右太衛門は
北大路欣也のお父さんですよ

啖呵(たんか)を切って片肌を脱ぎ、桜の
彫り物を見せるお奉行様には子供心に
惚れ惚れ、格好良かったです

「この桜吹雪、散らせるもんなら散らして
みろぃ!」スカッとする、いい話でした
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