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15代征夷大将軍・徳川慶喜の二人の側室
明治維新後も15代将軍徳川慶喜の側室と
して仕えたのは「中根 幸(こう)」と「新村 信
(のぶ)」の二人で、24人のお子さんを出産

正室の方はお子様をお生みにならなかった
ようです

側室はもうお一人、一色 須賀(いしきすが)
(天保9年4月26日-昭和4年)子供はいない

それ以外にも妾・芳(新門辰五郎の娘)と
いう人もいたそうです

子供の名前載っていません、お生まれに
なっていないのでしょうね

11代将軍の家斉は、分かっているだけでも
側室16人、もしくは40人もいた、と言われ
慶喜は、少ないほうではないしょうか?

側室・新村 信(のぶ)は嘉永5年頃の生まれ
だそうで、明治38年2月8日、没

長男・敬事(明治4年6月-明治5年5月22日)
長女・鏡子(明治20年3月結婚、徳川達孝
夫人、明治6年6月-明治26年9月29日)

三女・鉄子(明治23年12月結婚、徳川達道
(一橋茂栄の子)夫人、明治8年10月-
大正10年12月10日)

五男:仲博(鳥取藩主・第14代当主
侯爵・貴族院議員、大正天皇侍従長
明治10年8月-昭和23年1月1日)

六男・斉(明治11年8月-明治11年11月)
六女・良子(明治13年8月-明治13年9月)

九女・経子(明治30年1月結婚、伏見宮王妃
明治15年9月23日-昭和14年8月18日)

七男・慶久(公爵・貴族院議員)
(明治17年9月2日-大正11年1月22日)

十一女・英子(明治44年結婚、徳川圀順夫人
明治20年3月-大正13年7月5日)

十男・精(伯爵、明治32年1月、勝海舟婿養子
明治21年8月-昭和7年7月)

側室・中根 幸(こう)(中根芳三郎長女
天保7年頃-大正4年12月29日)彼女にも
たくさんの子供が生まれた

次男・善事(明治4年9月-明治5年3月10日)
三男・琢磨(明治5年10月-明治6年7月5日)

四男・厚(男爵・貴族院議員、火災保険会社
取締役(明治7年2月- 昭和5年6月12日)

次女・金子(明治8年4月-明治8年7月22日)
四女・筆子(明治28年結婚、蜂須賀正韶夫人
明治9年7月-明治40年11月30日)

五女・脩子(明治11年8月-明治11年10月)
七女・浪子(明治28年12月結婚、松平斉民の
九男夫人、明治13年9月- 昭和29年1月)

松平 斉民(まつだいら なりたみ)江戸時代
後期から幕末の大名、11代将軍徳川家斉
十四男ですって!その人の九男と結婚です

八女・国子(明治34年5月結婚、大河内輝耕
(大河内輝声の長男)夫人、明治15年1月-
昭和17年9月11日)

十女・糸子(明治39年5月結婚、四条隆愛
(たかちか)夫人、明治16年9月-昭和28年
10月11日)

死産・男子(明治17年8月22日死産)
八男・寧(明治18年9月-明治19年7月)

九男:誠(男爵・貴族院議員(明治20年
10月-昭和43年11月11日)

死産:女子(明治24年6月2日死産)
お子様は13人出産され、2人が死産です

今の時代は子供は平均で1〜2人、3人
だと、多いほうですね

それにしてもお殿様の精力は大変なもの
そうじゃなくては、殿様の価値は上がらな
かったのですものね

子供の頃、映画で大奥物語は見ました
毒殺があったりしてね、松竹と大映が
栄華を誇っていた頃です

テレビも何もない時代、小学生で映画に
連れて行ってもらうのが楽しみでした

水戸黄門の月形龍之介、声が素敵でね
格好良かったです

市川右太衛門は殿様か、お奉行様です
着流しの市川雷蔵、素敵でしょ、若くして
亡くなり、がっかりしたものです

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