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11代征夷大将軍・徳川家斉の子供は55人
江戸幕府の第11代征夷(せいい)
大将軍・徳川家斉(いえなり)
(在任1787年-1837年)在位50年

天明6年に第10代征夷大将軍
徳川家治(50歳)が急死 (1786年)

家治の子・徳川家基も18歳で急死
一橋家当主・徳川治済の長男を
(豊千代)養子とした

天明7年(1787年)15歳で家斉(豊千代)
は将軍に就任

徳川御三家から推挙された名君の
誉れ高かった松平定信を老中に任命

江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫に
当たり、1787年〜1793年まで寛政の
改革を行った

家斉が成長するまでの代繋ぎに、と
したのです

家斉は正室に側室が40人、そのうち
16人の側室が男子28人・女子27人の
計55人の子供を産んだ

将軍ですから、何をしても文句はない
生きるのも大変な貧しい時代ですから

正室も側室も優雅に暮らせて、贅沢が
でき、何も言うことがないわけですね

子供は成年まで生きたのは半分の28人
長命の子供達は他家の養子となります

家斉の子を養子、もしくは正室として
迎えた大名家に対し、特別な待遇が
与えられたようです

養子先に選ばれた大名の中にはすでに
実子が誕生していた例もあった、と言う

子女の多くは大名に嫁入り、血縁関係
による大名統制を行っていた

将軍の子を娘婿として迎えれば、本来の
家格より上位の官位が授けられ同格の
他家に対し優位になった

親戚になりますものね、でも家斉と姻戚
関係にある大名家への厚遇で諸大名の
不満も噴出させたと言う

寛政の改革を若い頃に経験した家斉は
「改革なんか上下ともに迷惑

あんなことやるものじゃない」せっせと
子作り、それ以外、何もせず放任政策

在職期間50年は、歴代征夷大将軍の
中でも最長記録です、遊び狂っていた
腐敗将軍として有名

その間に江戸幕府の負の遺産が増え
幕末にも大きく影響したようです

しかし、家斉の在職期間は江戸文化の
絶頂期「化政文化」と言われ、結果的に
町人文化の発展に貢献した

愛知県岡崎市(三河国)にある浄土宗
寺院、徳川家の菩提寺・大樹寺にある
位牌から推定すると・・・

家斉の身長は156.6cm、将軍の位牌は
臨終時の身長と同じという説がある

徳川将軍15人の中で5番目の長身で
将軍の中では大柄とか

吉宗は155.5cm、でも六尺(180cm)
あった、と伝えられていますからね

家康は159cmらしいですし、家定は
149.9cm

日本人も栄養が摂取できたお殿様
でも、小さかったのですね

栄華を極めた家斉は、最期は誰一人
気づかれぬまま、息を引き取った、と
伝えられている

侍医長・吉田成方院は責任を問われ
処罰された、どんな罰だったのだろう?

子供をあれほど沢山、作った割には
寂しい最後でしたね

天保8年(1837年)4月、次男・家慶に
(いえよし)将軍職を譲っても、幕政の
実権は握り続けた(大御所時代)

家斉は天保12年(1841年)に、69歳で
亡くなった

それから179年、今や家斉の血を引く
人は日本各地に、どれほどいるかな?
すごい数でしょうね
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