もろもろももとせ
とつぜんはじめた日記のブログ
プロフィール

江戸絞(えどしぼり)

Author:江戸絞(えどしぼり)
それぞれいろいろ
もろもろももとせ(百年)

精一杯、生きて百年
それぞれがいろいろ
今、出来ることを!

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

江戸時代の大名
江戸時代、大名は石高(こくだか)が1万石
以上ある武士のこと言いますが、3種類の
大名があったのですね

徳川御三家や外様(とざま)大名は聞いた
ことがありますが、親藩(しんぱん)大名や
譜代(ふだい)大名のことは知らなかった

1603年に徳川家康が征夷大将軍に任命
されて江戸に幕府を樹立してから慶応4年

明治元年4月11日(1868年5月)に江戸城が
明治政府軍に明け渡されるまで265年間

いろいろ考えていたからこそ、江戸幕府は
続いたのですね

土地の生産性を「石(こく)」の単位で表した
1石とは、1人が1年間に食べる米の量で
米俵にすれば2.5俵だそうです

江戸時代、金一両でほぼ一石の米が買え
一両=一石=米150kg

計算方法としてはお米10kgが平均4000円
(もっと安いのも高いのもありますが)として
一石=約60,000円

時代劇では、加賀100万石とか言ってました
ということは、年間、60兆円の予算になる
すごく多いですね

親藩とは徳川の血を引いた御三家で尾張
徳川家、紀伊徳川家、水戸徳川家、映画の
水戸黄門などで、良く知っていました

将軍に後継が生まれない時は、家系が
途切れてしまうので、御三家の中から次の
将軍を選ぶようにしていたそうです

関ヶ原の戦いより、前から徳川家に仕えて
いたのは、譜代(ふだい)大名

重要な領地を与えられ、幕府の中で重役に
ついていた

外様(とざま)大名は、関ヶ原の戦い前後に
新しく徳川の支配体系に組み込まれた大名

幕府に警戒されたのです、外様大名は老中
などの要職には、就けないとされた

基本的には江戸を中心とする関東や京・大坂・
東海道沿いなどの、戦略的な要地の近くには
置かれなかった

譜代に比べ信頼がなく、幕府内では重役には
付けず、領地も都(みやこ)から遠い場所を与え
られたとか

毛利氏・島津氏・上杉氏などは外様大名でも
扱いが違ったとの説もある

何故、外様の大名の前田家が100万石?と
思いますが・・・

利家(としいえ)は、豊臣政権の五大老の1人
戦国時代からの武将だから

嫡男の利長、正室は織田信長の娘の永姫
若いころより、織田信長・豊臣秀吉旗下の
指揮官であり

秀吉死後から、江戸幕府成立に至る難局を
乗り越え、加賀藩の礎を築いた人です

江戸後期には、外様大名でも対馬国の宗氏
朝鮮との外交において、要職へ就くように
なったり

比較的早い時期から徳川家と友好関係が
あった池田氏・黒田氏・細川氏・藤堂氏・
蜂須賀氏も外様大名です

長い江戸時代には変化もあったでしょう
室町時代には外様大名は軍事動員などに
だけ応じる場合が多かったようです

「外様の分際で」、という言葉が、あるくらい
ですからね

それにしても参勤交代で費用がかさみ反発
できないようにしたとは、徳川家はなかなか
よく考えたものです

それで江戸が活気付いて、庶民の文化が
栄えたわけですけどね
この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://yoshiko152.blog44.fc2.com/tb.php/2332-b166fa2c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)