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アーネスト・ヘミングウェイ、4回の結婚
アーネスト・ヘミングウェイ Ernest Hemingway
ノーベル文学賞作家、結婚離婚を繰り返す
こと4回

バートランド・ラッセルも、4回結婚しました
いい作品を残す方は、何事にも積極的

1899年7月21日アメリカ西部、イリノイ州
オークパークで生まれで複雑な少年時代
だったようです

厳格なクリスチャンの母親は、彼が自由
奔放な生き方を始めると絶交状態になる

1年間だけ、カトリックの学校に通ったこと
ありますけど、よく分かります

母と子の関係は最後まで修復されず、彼は
母親が死んだ時、葬式にも出席しなかった

母と子でありながら、そんなものでしょうか?
母の愛に恵まれない作家は意外に多いです

太宰治もそうでした、女性に次々求めるのも
その影響があるかもしれません

父親とは仲が良く、釣り好きの父親の影響で
アウトドアの基礎を身につけることができた

彼は小学生の頃、小説が好きで文章を書く
ようになり、高校時代には校内新聞に記事を
書いたり、文芸誌に短編小説を発表した

1913年、高校に入学した彼はいろいろな
スポーツで才能を発揮、水泳や陸上などで
大活躍、最も得意だったのが射撃でした

1918年、彼は赤十字の輸送部隊に志願兵と
して参加

第一次世界大戦に向かうアメリカ軍に入隊
したかった彼は戦場に行くチャンスを得た

彼は敵の攻撃により、負傷した兵士たちの
救出に活躍、自らも負傷した

アメリカ人として初めて負傷兵としてミラノの
病院に入院、そこで恋に落ちる

担当の看護婦アグネスは、7歳も年上だった
彼女は結婚の申し込みを断り、恋も終わる

この時の熱い思いが小説「武器よさらば」と
なって世に出たのです

(1)エリザベス・ハドリー・リチャードソン
(1921年9月結婚、1927年4月離婚)

最初の奥さんは無名時代、陰で支えた
ハドリーですが、夫は自由奔放で既婚者で
ありながら、雑誌記者と付き合い始める

愛人も妻とも一緒に、旅行に連れ歩いた
そうです、その生活に妻はついていけずに
別れることになる

「日はまた昇る」の印税を、すべて譲り渡し
円満に離婚

(2)ポーリン・ファイファー
(1927年5月結婚、1940年11月離婚)

浮気相手の、ポーリンと2回目の結婚をし
パリからアメリカに戻り、フロリダ州の
キーウェストへと、住まいを変える

1929年2作目の長編小説「武器よさらば」
この作品で、彼はベストセラー作家の仲間
入りをした

(3)マーサ・ゲルホーン
(1940年11月結婚、1945年12月離婚)

本が売れて、再び余裕のできた彼は釣りに
最適なフロリダを中心にして、スペインの
闘牛や、アフリカでのライオン狩りに熱中

「午後の死」や「キリマンジャロの雪」など
その経験を通して、作品が生まれた

1943年、妻マ-サは「コリア-ズ」の戦時
特派員として渡欧、45年まで各戦地を
移動取材

翌年4月に、妻であるマ-サに会うために
妻と同じ「コリア-ズ」誌の特派員となって
英国へ渡るが、すれ違いで会えずじまい

第二次世界大戦勃発、ヨーロッパ戦線の
連合軍に同行、戦場通信員として取材時
には、戦闘にも参加した

マーサ・ゲルホーンとの結婚では代表作
「誰がために鐘は鳴る」を書き上げる

本ができるにあたり、彼に影響を与えた
マーサでしたが、残念ながら結婚生活は
5年しか持たなかった

彼は体力の衰えと共に急激に創作意欲を
失い、精神のバランスも失っていくが・・

取材中のロンドンで出会った、新聞記者
メアリ・ウェルシュと、4度目の結婚をする
(1946年3月結婚)

彼は、作品をしばらく発表しなかったが
1952年、傑作「老人と海」を発表

結婚する度に作品が出来上がる、新しい
女性は彼のエネルギー源だったようです

この作品でその年、ピュリツァー賞を受賞
作家の頂点を迎えるが・・・

ケニアでの狩りを終えた夫妻が現地から
帰る途中、乗っていたセスナ機が電線に
引っかかり不時着

救出された後、その救出機が離陸に失敗
大破、妻のメアリは大した怪我はなかった

しかし、ヘミングウェイ自身は頭蓋骨骨折
内臓損傷、脊椎損傷などで生死をさ迷う
そして、後遺症に悩むが・・・

この体験を元にした「誰がために鐘は鳴る」
長編小説が出来上がる

これを書き上げ、再び大ヒットし、1954年
ノーベル文学賞を受賞する

体調は回復せず、式典に出席できなかった
彼は精神的に追い詰められ、うつ病と診断
され、精神病院に入院することになる

痛みから逃れるため、飲酒の量が増える
うつ病に悩まされ続けた

それに加えて彼自身、遺伝疾患をたくさん
持っていたので、心身ともに弱っていく

1961年7月2日、自らの銃で頭を撃ち命を
絶つ(享年61歳)

彼の父親も病気や投資の失敗などを苦に
自殺している、妹、弟、孫娘も自殺した
らしいです

波乱万丈、自分らしく自由に生きてこられ
沢山の経験から偉大な作品ができましたね
素晴らしいです!
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