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秀吉の側室・淀殿(茶々)
淀殿(茶々)の母は織田信長の妹・お市
政略結婚で浅井長政(あざいながまさ)
に、嫁ぎました

浅井長政との間に、生まれた長女が
茶々(ちゃちゃ・豊臣秀吉側室)

二番目が初(はつ・京極高次正室)
末の妹・江(ごう・徳川秀忠継室)

正室とは正式な妻.本妻、側室は
本妻以外の公的に認められた女性

継室(けいしつ)とは後妻で、側室が
正室の死後、又は離婚後に継室に
格上げされる可能性は低いそうです

秀吉はお市に憧れ、お市の面影を
受け継いでいる茶々を側室に迎えた
(裏付ける史料はないとか)

NHK大河ドラマには、よく出てくる茶々
絶世の美女と言われた母・お市と父の
器量を受け継ぐ美しい人だったとか

信長が叔父で、茶々の人生は小さい
頃から、時代に翻弄(ほんろう)されます

北近江の戦国大名、浅井(あざい)氏の
3代目にして、最後の当主・浅井長政

妻(お市)の兄・織田信長と、同盟を結び
全盛期を築いたが、後に信長と決裂し
戦いに敗れ、自害、滅亡した

長政が亡くなった後、お市の方と子供
3人は、信長に引き取られた

その後、母・お市の方は織田家の重臣
柴田勝家と再婚した

夫・勝家は信長の家来ですが、秀吉と
対立して破れ、お市は勝家と共に自害
しました

父・長政は、茶々が4歳の時、信長に
殺されて、その時、兄も1人殺された

茶々14歳で母との死別、信長の部下
秀吉は茶々の実の父・長政と義父・
柴田勝家と母・お市を殺した男です

大変な時代で茶々は、信長と秀吉に
父と母と義父を奪われました

それでも、豊臣秀吉の側室として嫁ぐ
何て大変な時代なのでしょう

権力者の周りはこんなものだったので
しょうね

茶々27歳、秀吉51歳、無類の女好き
側室十数人、遊びで手を出した女は
100人以上と言われています

茶々は側室となった翌年に、秀吉の
子・鶴松(秀頼)を出産

それまで秀吉には、子供が生まれても
死んでいるが、淀殿との間は短期間で
2人子供ができた

2人の子の実の父は、秀吉ではないと
いう噂もあったようです

豊臣秀吉の死後、秀頼が跡継ぎとなる
はずだったが、ここで登場するのが
徳川家康です

大阪城へと家康が進軍して、最終的に
淀殿(茶々)は大阪城で秀頼と共に自害

遺体は発見されていないらしい、秀頼と
共に生き延びた?という言い伝えもある

現代でも秀頼の本当の父親が誰なのか
と、色々名前が挙がっています

大野治長説が一番有力で、淀君付の
乳母の子、淀君の推薦で秀吉の側近に
なった人です

長身でかなりの美男子だった、秀吉は
背が低いが秀頼は180cmを超える長身
なかなかの美形だったとか

信長、秀吉、家康と戦国の武将たちに
翻弄された淀殿(茶々)、波瀾万丈の
人生でした

現代とは時代が違うので理解が難しい
ですが、殺し合いばかりで虚しいです

その時代があって今があるので何とも
言えませんがねえ

未だに、イスラム国は自爆テロ、人を
殺傷していますが、憎しみは憎しみしか
生まない、幸せにはなるためには・・・
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