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空海と守敏(しゅびん)
空海は有名ですが、守敏(しゅびん)は
生没年不詳で守敏僧都そうず)という
称号を持つ、平安時代前期の僧です

823年(弘仁14年)、嵯峨天皇により
京都の東寺は空海、西寺は守敏に
与えられた

東寺は京都市南区にある仏教寺院
真言宗の総本山です

824年(弘仁15年)の干ばつ、その時
寺院(神泉苑)の雨乞いの儀式で守敏
空海に敗れたそうです

それに怒り、空海に矢を放った守敏
そのため地蔵菩薩に阻(はば)まれた
と、伝えられている

そのために、西寺も寂(さび)れた、と
言われている

羅城門跡に「矢取地蔵」が祀られた
のは、本当の話hだろうか?

仏塔では日本一の高さを誇っている
東寺

創建時も、同等の高さだったようです
下は東寺の現存している五重塔

360px-Toji-temple-kyoto.jpg

空海が東寺を授かったときは、金堂だけ
五重塔の完成は、空海の没後半世紀を
経た883(元慶7)年のことだったそうです

落雷などで4回も焼失、1644(寛永21)年
徳川家光の寄進で建てられた現在の
塔は54.8mという

東寺と同じように西寺の五重塔が建って
いたが・・・

桓武天皇が、平安京に都を定め「天皇の
都を護(まも)る」という意味で、都の入口に
羅城門、東と西に官寺が置かれた

東寺と西寺、空海が東寺を守敏が西寺を
守っていた

何事にも、二人は対立していたそうですよ
仲良くしていたら、歴史は変わったかな?

西寺が何故、衰退したかは分かりません
でも、物語は残っています、守敏が空海に
矢を放った話です

東寺は源頼朝、豊臣秀吉、徳川家康など
時の権力者の支援を受け、再建を繰り返し
存続

西寺は990年(正暦元年)に、火災に遭うなど
早い時期から衰退していき1233年(天福元年)
には、五重塔も焼失したそうです

西寺に東寺のように、庇護者がいれば衰退
せず、西寺の五重塔を見ることができたかも
しれませんね

守敏の人徳のなさか、空海の人徳によるか
過去の話は、記述がないので分かりません

真言宗の一番短いお経(南無大師遍照金剛)
(なむだいしへんじょうこんごう)

弘法大師、空海さん、お遍路さん、この
名は親しみを感じます、信者じゃないけど
四国は両親の故郷だから
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