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一休和尚さん
一休さんの名は宗純(そうじゅん)
室町時代に生きた臨済宗大徳寺派の
禅師です

とんちで有名な一休さんに桔梗屋が
出した問題の一つに・・・

店の前の橋を、一休さんが渡ろうと
すると・・・

「このはしわたるべからず」と書いて
ある

しかし一休さんは「この端(はし)渡る
べからず」と切り返す

橋の真ん中を堂々と渡った、後日談
ですが・・・

「真ん中も歩いては駄目」と言われ
「橋に乗らねばよいのだろう」と敷物を
敷いてその上を歩いて渡ってきた

8歳の時の話だそうです、何故・・・
とんちで有名な一休さんのことが気に
なったか、というと・・・

その一休さん、長生きをしたのです
享年88歳、まだ世の中、戦さが続いて
大変な時代にです

明徳5(1394)年~文明13(1481)年に
マラリアで死去したそうです

「一休和尚年譜」によると母は藤原氏
南朝の高官の血筋で、後小松天皇の
寵愛を受けた、とする説が有力

出生地は京都、後小松天皇のご落胤
(らくいん)

地位のある男が、正妻でない女性に
ひそかに生ませた子、おとしだね
時代劇でよく出てきますね

室町時代北朝最後の第6代、歴代
第100代の天皇です

お母さんは帝(みかど・天皇)の命を
狙っていると、悪口を言われて宮中を
追われ、民間に入り一休を生んだという

一休さんのお墓は酬恩庵(しゅうおんあん)
一休寺、京都府京田辺市、京都に義妹が
いるので行った時、寄りたいと思います

宮内庁が管理しているため、一般の
人は立ち入りや、参拝はできないそうだ

やっぱりねえ!境内に「一休像」があって
これは、参拝者が自由に触れられるとか

誰もが頭を撫(な)でるので、頭が光って
いるそうですよ

手にホウキを持って、世の中の汚れを
一掃するという願いが、込められている
とか

今の時代にいて欲しいですね、セコくて
ずる賢い人だらけだから

仏教で禁じられていた、飲酒・肉食や
女犯(にょぼん)を行う

女犯とは字の如し、僧が戒律を破り
女性と肉体関係をもつこと

盲目の側女に、実子の弟子がいた
本当かどうかは、分かりませんが・・

73歳のとき、京都で応仁の乱が勃発
一休は戦火を避けて奈良、大阪と逃れ

1470年(76歳)、住吉薬師堂で鼓を打つ
盲目の美人旅芸人・森侍者(じしゃ)と
出会う

彼女は20代後半、歳は50歳の年齢差
一休が他界するまで10年間、2人は
酬恩庵に戻って同棲生活を送った

臨終に際し「死にとうない」と述べた、と
伝わっている、でしょうねえ

子供が小さい時、とんちの一休さんと
して、テレビアニメで見た記憶があるが
イメージが全然、違いますね

一休さんの残した言葉を書きますね

この道を行けばどうなるものか、
危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし

踏み出せば、その一歩が道となる
迷わずゆけよ、ゆけばわかる

世の中は、起きて稼いで寝て食って
後は死ぬを待つばかりなり

生まれたからには、必ず死ぬもの
である、釈迦も達磨(だるま)も、猫も
杓子(しゃくし)も

だるまは張り子の置物だけど、禅宗
開祖、達磨の坐禅姿を模した置物で
杓子はしゃもじだからね

門松は冥土めいど)の旅の一里塚
めでたくもありめでたくもなし

一休さんの遺文(書き残したぶん)に
「心配するな、なんとかなる」という
のがあるが、一休さんらしいね

でも、彼の言葉か、はっきりしない
そうですよ

つい孫が分かりやすいように説明文
書いてしまう、たまに、読んでくれて
いるそうだから・・・・・
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