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回想 (1) 母が亡くなる
大好きな母が亡くなる5年前に、実家を
二世帯住宅に建て替えたのです

母と父は別居をしていましたので、母と
末弟が一方に住み、もう片方に私たち
3人家族が住んでいました

何故?それはね

母は54歳で肝臓ガンで亡くなり、早稲田の
学生だった末弟が政府留学生でフランスへ
留学することになったからです

肝臓ガンの末期だった母は、歩き方が変
だな?と思っていたが、まさかまさか!

ガンだなんて!青天の霹靂!大好きな母と
別れなくてはならなくなるなんて!入院して
半年後に亡くなった

母の看病が、あれで良かったのか?とか
色々考え悩みましたが、身体を張って母を
看たと、いう自負はありました

看病後、持病の心臓病が悪化、その半年後
2回目の心臓を手術を受けることになった

母は4人の子供に恵まれ息子3人、娘1人を
育て上げた

私が小学校1年生、末の弟が2歳の時、子供
2人を連れて、母は四国松山の実家に帰った
ことがある

戦後すぐ、四国から東京に出てきて2年目
どんな思いで長男と次男2人を残し、松山に
帰ったのでしょう

2ヶ月後、子供2人と父が迎えに来て東京へ
戻ったが、知らない東京で、4人の子供の
世話は大変だったと思います

父の女性関係で、母は随分、苦しみました
母を苦しむのを見て、子供心に父に反発
したものです

母が末期がんと宣告されたのは、あれから
20年後です、手遅れでした

後から聞いたのですが、東京に来てすぐに
肝炎にかかったそうです

戦後すぐですから、治療も出来たかどうか
分かりませんが・・・

知らず知らず、急性肝炎から慢性肝炎に
移行、気付いたら肝ガンになっていた

父は、師範学校の同級生の1つ上の姉と
結婚したのですが、惚れて惚れて懇願して
一緒になった、と聞いていたのに・・

優しい言葉とか、反省の言葉をかけたの
だろうか?

看病は末弟は手伝ってくれたが、松山に
連れて帰らなかった長男と次男は、何も
手伝わなかった

どうしていいか、分からなかったのかも
しれませんが、クールでした

母の最後の言葉は、「○○ちゃんは?」
3歳の孫、私の娘のことでした
最後に会いたいと、思ったのでしょう

母が喜ぶと思い、絞り立てのジュースや
色々と持って行ったので、荷物があり
連れて行けなかった

まさか、その日に亡くなるなんて考えも
しなかった

娘を連れて行かなかったこと、後悔した
会えないと分かり力が抜けたか間もなく
息を引き取った

一緒に隣同士で住んでいた孫が来るのを
必死で待っていたのです

申し訳ない気持ちでいっぱいでした
頑張って世話をしたけど、母は満足して
くれたのだろうか?

ベットの上で「ゲゲゲの鬼太郎」のテレビを
孫と一緒に見て「いいね、お化けは病気が
なくて」と言っていたのを思い出す

「お化けは死なない、病気もなんにもない」
そう歌っているのです、40年前の事です
フッと、懐かしく母を思い出す時があります
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