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念仏とは、ただひとこと、捨て去ること
人間にとつて最も深く大きな苦しみは
死の不安、恐怖、孤独でしょうか?

往生するは死ぬこと、あの世に往って
再び生きる、ということを願う

サンスクリット語の「極楽浄土」は
「楽しいことがあるところ」という意味
らしい

日本人は昔から、何かあるたびに
神様にお願いしてきました

神社に代表される「神道」が長い間
信仰されてきました、今ももちろん

そして、中国からやってきた仏教
浄土宗の開祖・法然は・・・・

南無阿弥陀仏と称え、阿弥陀仏に
「どうか、私を救って下さい」と願う
事で・・・

「阿弥陀仏に極楽浄土へ導かれる」
と、説いた

法然の解釈に弟子の親鸞はそれに
「まかせなさい、必ず救うぞという
仏の呼び声」を聞信すべき、と

「同称十念」と呼ばれるのは念仏十回
唱えるの意、南無阿弥陀仏を十回

百万遍(ひゃくまんべん)念仏という
各種の祈祷を目的として、百万回
唱えるのもあるしね

「南無阿弥陀仏」一回、唱えることに
よって救われると言う一遍上人

それに踊りを加え、我をわすれて
念仏を一遍、唱え楽しく踊り、極楽
浄土にいけると説いた

その時代には、シンプルで受け入れ
易かったのでは?

時が進むに連れて、簡単に信じる
ことが出来るようにと変化したので
しょうか?

一遍の有名な和歌がある

「生ずるは独り、死するも独り、
共に住するといえど独り、
さすれば、共にはつるなき故なり」

瀬戸内寂聴さんが言うには
一人で生まれて一人で死んでゆく
生活を共にしていたとしても、

心の奥底までも共にすることは
かなわない

だから一緒に果てることはないのだ
というような意味だそうだ

生かされている自分が奢(おご)っては
ならないという、感謝と戒めの意味だ
そうです

新興宗教もあるし、念仏を唱えて
いる人は沢山います

空也上人も念仏とは、ただひとこと
捨てることだ、と言っている 

日蓮宗、日蓮正宗、創価学会は
南無妙法蓮華経ですね

念仏は色々ありますが・・・
どう違うのでしょうか?
仏教のこと詳しくは分かりません

努力もしないで、念仏だけという
のは、納得できませんけど・・・

自分が救われるならば、信じて
生きていけばいいのです

誰が何を言おうと・・・・
信じるものは救われる、と言うから
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