FC2ブログ
もろもろももとせ
とつぜんはじめた日記のブログ
プロフィール

江戸絞(えどしぼり)

Author:江戸絞(えどしぼり)
それぞれいろいろ
もろもろももとせ(百年)

精一杯、生きて百年
それぞれがいろいろ
今、出来ることを!

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

「徳川斉昭」公・・・つづく
第9代水戸藩主の徳川斉昭の
性格が分かる行いがあります

第7代藩主・徳川治紀(はるとし)の
三男として生まれた

母は公家の外山氏(日野家一門)
文政12年(1829)30歳で水戸藩主

幼少期から水戸学の影響を受け
弘道館創設や偕楽園の造園、蝦夷
開拓計画を訴えるなど斬新的

開国には猛反対していたが西洋の
物品にはとても興味を示していた

20歳で8代水戸藩主の兄・斉脩
(なりのぶ)が、33歳で亡くなり

家臣が弟の斉昭が水戸家を相続
したので、兄・斉脩と同じ食事を
用意すると・・・

斉昭は「余はこれまで日陰者で
あった、兄が亡くなり、はからずも
水戸家を継いだが・・・・

御三家の格式は重く、表向きの
ことは、変更できないだろうが

内向きの食事には金などかける
ことはない」と

翌日から部屋住みの頃の食事に
変えさせたそうです

幕末に人材の少なかった徳川家
唯一、斉昭がカリスマ性と行動力の
ある人物だったようです

そして斉昭は寵愛していた側室の
地位を引き上げた、側室は大喜びで

お金を無心したが、大奥での浪費が
嫌いな斉昭は理由を尋ねると・・・

側室は答えた・・・・・
「今までより、地位が上がりました
衣装に費用が多くかかりますから」と

斉昭は申し渡す「これまでの衣装で
我が前に務めよ」と

側室は「それでは体面が保てず
奉公が務まりません」

斉昭は激怒し「奉公が務まらないと
言うならば、出仕(しゅつし・お勤め)
は無用」と述べたそうだ

その後、目通りを許さなかった、と
気持ちがいいくらいはっきりしてる

さすが藩政改革に成功した幕末期の
名君の一人ですね

将軍継嗣争いで井伊直弼との政争に
敗れ永蟄居(えいちっきょ)のまま死去

永蟄居とは江戸時代、武士・公家に
対する刑罰の一つ

終身に渡り、出仕・外出を禁じ自宅の
一室に謹慎させたもの、きついですね

斉昭の七男が15代将軍徳川慶喜で
親子は江戸から明治、激動の時代を
生きた人です
この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://yoshiko152.blog44.fc2.com/tb.php/1730-f9b42b46
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)