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アフリカ出身の信長の家臣「弥助」
本で知ったのですが驚いた、天正9年
(1581年)イタリア人宣教師(伴天連)
に奴隷として連れてこられた黒人男性

「信長公記」には「切支丹国より、
黒坊主参り候」年齢は26~27歳

十人力の剛力、牛のように黒き身体
と、記述されているらしい

アフリカ出身(現在のモザンビーク)
だそうです

信長は彼を譲ってもらい「弥助」と
名づけ身近に置いた

信長は肌に墨を塗っているのではと
なかなか信用せず、着物を脱がせて
洗わせたという

天正10年4月19日(1582年5月)付けの
「松平家忠日記」には、名は弥助

身の丈六尺二寸(約187cm)身は炭の
ごとく、と記述されているとか

天正10年6月2日(1582年6月21日)
本能寺の変では弥助も本能寺に宿泊
明智光秀の襲撃に遭遇したとか

信長が死ぬと、二条御所に行き戦い
明智軍に捕縛された

家臣にどう処分するかと聞かれた光秀
「動物で何も知らず日本人でもない」
と、処刑はせず南蛮寺に送った

南蛮寺とはキリスト教伝来(1549年)
から徳川幕府による禁教までの期間
日本に建てられた教会堂

山口で最初に建てられて、その後
京都市中京区蛸薬師通室町西入北側
にもあったようで、南蛮寺跡がある

京都は歴史の宝庫、ちょっと歩けば
紫式部の墓があったり、南蛮寺跡も
行ってみたい

弥助を殺すのは忍びないと思った
光秀が、生かすための方便だった
という意見もあるらしいが・・・

最後まで記述されてるといいですが
弥助のその後の消息は不明、残念!

その一方でポルトガルやスペイン
商人、宣教師により日本人も奴隷と
して輸出されたらしい?

弥助も売られた日本人も、その後
運命はどうなったのだろうか?

気になりますね、幸せに過ごせた
だろうか?とか

人身売買だなんて、日本にもそんな
悲しい時代があったのですね
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